どーも、捌零式です。ハロにちわ〜。
第6章では、第4章で触れた66前期、第5章で触れた66後期の続きを書いていきます。
ここまでで、501というモデルがどのように完成度を高めてきたかは、ある程度見えてきたと思います。 66前期で一つの理想形に近づき、66後期でその完成度が安定していく。
では、その先では何が起きたのか。
この章で扱うのは、年代の区切りではありません。 66後期の先で、501の性格がどう変わっていったのか、その変質についてです。
66後期は終わりではなく、分岐点だった
66後期という言葉は、ヴィンテージデニムの文脈では終焉期として語られることが多いです。
確かに、66後期以降は色落ちの荒さが減り、個体差も少なくなっていきます。 この点だけを見ると、面白みが失われたように感じる人がいるのも自然です。
ただ、ここで一度立ち止まって考える必要があります。
66後期で起きたことは、終わりではありません。 方向転換です。
それまでの501は、工業製品でありながら、人の手の影響を強く残していました。 生地ロットごとの違い、縫製の癖、工場ごとの微妙な差。
それらは意図されたものではなく、結果として生まれていた揺れです。
66後期の先では、この揺れが少しずつ整理されていきます。
501が目指したのは均質化だった
66後期以降のLevi’sは、明確な目標を持っていました。 それは、どの工場で作っても同じ品質の501を生産すること。
ここで言う品質とは、丈夫さや耐久性だけではありません。 色味、シルエット、履き心地まで含めた全体の安定感です。
この方針によって、以下のような変化が進んでいきます。
- 生地の規格がより厳密に管理される
- 染色工程のブレが抑えられる
- 縫製工程が標準化される
- 工場間の差が徐々に吸収される
結果として、一本ごとの違いは確実に減っていきます。
重要なのは、ここで品質が落ちたわけではないという点です。 むしろ、工業製品としての完成度は上がっています。
履いたときの安心感、耐久性、再現性。 これらは確実に向上しています。
評価が割れる理由は単純
ではなぜ、66後期の先にある501は評価が割れるのでしょうか。
理由はシンプルです。
ヴィンテージデニムが評価される文脈と、ズレ始めたから。
現在、ヴィンテージデニムが好まれる理由は、大きく分けると以下のような要素です。
- 個体差が分かりやすい
- 一本ごとの表情が違う
- 説明しきれない偶然性がある
66後期以降の501は、これらの要素が意図的に抑えられていきます。
これは欠点ではありません。 設計思想が変わった結果であり、現在に続く「品質管理」と同等の概念が持ち込まれたという事です。
ただし、評価軸が変わらないまま比較すると、どうしても物足りなく感じてしまう。
66前期・後期と同じ目線で見ると迷子になる
66前期や66後期と同じ目線で、その先の501を見ると、違和感が生まれます。
色落ちが穏やか。 個体差が少ない。 特徴が分かりにくい。
でも、それは劣化ではありません。
66前期・後期は、揺れを楽しむデニム。 その先の501は、完成度を楽しむデニム。
ここを混同すると、評価が極端になりがちです。
良いか悪いかではなく、楽しみ方が違う。
この視点を持つと、66後期以降の501も、違った魅力を持っていることに気づきます。
実用着として見たときの強さ
66後期以降の501は、実用着として非常に優秀です。
色落ちは穏やかですが、その分、極端な劣化が起きにくい。 縫製も安定しているため、長く履き続けることができます。
毎日履くデニムとして考えたとき、この安定感は大きな武器です。
ヴィンテージとしてのロマンは薄れても、 生活に寄り添うデニムとしては完成度が高い。
そもそもヴィンテージで評価される価値感は、後から付け加えられた価値ですので、製品としてのムラが少ない点は、66前期・後期とは別の評価軸で見るべきポイントです。
捌零式的な整理
捌零式的には、こう整理しています。
- 66前期・66後期は揺れが残る時代の501
- 66後期の先は揺れを整理した時代の501
- 同じモデルだが、性格が違う
どちらが正解という話ではありません。
荒さや偶然性を楽しみたいなら前期寄り。 完成度や実用性を楽しみたいなら後の時代。
自分が何を求めているのかで、選び方が変わるだけです。
次章へ
次の章では、さらにこの流れが進み、 501が大量生産の象徴としてどのような立ち位置になっていくのかを見ていきます。
それは衰退ではなく、501が生き残るために選んだ形です。
この変化を理解すると、66前期・66後期の価値も、また違った角度から見えてくるはずです。
それでは、第7章で。


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